楊東雄
(ヤン トンション)

私と彼が初めて出遭ったのは2001年ごろだった。
張恩煌監督の武館、協和拳館が新しく完成したときに
お招きをうけ台湾に訪問したときに初めて会った。
私は彼が武館の中で一人黙々と練習する姿に
人の話も耳に入らず、目が釘付けになった。
日本人にはほとんど見られないリズム感の良さと、
動物的ともいえる敏捷な動き。
人並み外れた非常に細かく滑らかな意識の波。
そして小麦色の肌、丹精な顔立ち、鋭い眼差しは
伝統的な排湾族の血統を受継いだ青年そのものの姿だった。
この素質は造られた物ではなく天性のものだと思った。
彼は練習が終わった時に初めて軽く会釈をし
少し照れ臭そうに可愛い笑顔を見せた。
張監督の話によると、彼は張監督と同じ台東から単身で
出てきて張監督に弟子入りしたそうだ。
やはり純粋の排湾族の血を受継いだ青年だった。

その後は何度も一緒に食事をしたりしたが
試合を控えた彼はウエイトコントロール中のため
何も口に入れることはなく、ずっと我慢しながらも
私達の食事に付き合ってくれたりした事も度々あった。
本当に喋らない無口な青年だといつも感じた。

しかし拳武会の生徒が台湾を訪問した時には
散打の教授をしてくれたり、彼の故郷である
台東に生徒を連れて行ってくれ東雄の家族や
村の人が集まり歓迎会までしてくれた。

普段からほとんど話さない東雄だったが
徐々に日本語の勉強もしてくれ、時たま日本語を
話してくれるようになった。それでも一言二言程度。
目が合っても伏せるような内気さだった。

高雄で中正盃が開催されたときも夜行バスで
台北から高雄まで一緒に行った。
試合での彼の動きはやはり最高に良かった。
また彼は台湾でも知名度が上がり、応援も多かった。
私の予想は的中していたようだ。

あるときこんなことがあった。
私の訪台中に突然新聞社からの取材があり
いきなりの写真撮影などで困惑していたときだった。
私は記者に注文されるがままに、レンズに向かって
ポーズを決めるという状況に拒否反応が出ていた。
かなり私の表情は暗く硬かったと思う。
嫌になって途中で放棄しかけていた。

すると突然「頑張れっ!」と大きな声が響いた。
声の主は東雄だった。
そして彼は走り去った。

東雄と初めて出会ってからの時間の流れを感じた。

そして北京で開催された大規模な試合で
東雄がチャンピオンになったと張恩煌監督から
写真とメールが届いた。(一番上の写真)。
私達は非常に喜んだ!

2004年12月には米国テキサス州ラボックにて
アジア散打と米国マーシャルアーツの国際試合が開催された。
この時、日本からも2名出場し、台湾からも2名出場した。
この試合の一番の見所はなんといっても
北京チャンピオン東雄と対するは
テキサスのチャンピオン、ジェーソンの試合だった。
75キロ以上無差別級に挑戦した東雄は
ジェーソンとの身長の差は20センチ以上もあった。
もちろん体重の差も10キロはあったと思う。
大男に子供が挑戦した様に見えた。
しかも私と赤川は台湾チームのセコンドを任されてしまい
急いで東雄の着ていた台湾チームの上着を脱がせ
それをその場ではおり三人一緒にリングに向かった。
まさかいきなりこんな事になるとは
夢にも思わなかったし準備も出来ていなかった。

グリースを差出し、顔と身体に塗ってくれと
瞼を閉じた顔を私に近づける東雄。
ゆっくり念入りに塗り、何か言葉をかけたかったが
既に切替わった次元のエネルギーを感じ
言葉をかけるのは控えた。
深く深く、深呼吸を繰返す東雄。
とてもいい状態に入っている。

第一ラウンドが始まる直前、相手コーナーの
雄たけびを揚げる猛獣のようなジェーソンを見て
東雄の呼吸が速くなり、意識が元に戻ってしまった。

「このラウンドはとれないかも」と思った瞬間ゴングが鳴った。
案の定、東雄の身体は硬くなり相手の勢いに押された。
大きく長いジェーソンの手足が容赦なく東雄を捕らえる。
目を瞑りたくなるような思いだった。
小柄な身体で相手に立ち技で攻めるのは無謀だ。
一ラウンド終了後、戻ってきた東雄に
一言ことばをかけた。「東雄!スワイジャオ!」と。
東雄は理解したようで何度もうなずいた。
そして東雄の意識の変化が表れた。
排湾勇者復活だ!

第二ラウンドのゴングが鳴った。
別人のようになった東雄はジェーソンに飛掛かっていった。
まるで熊と戦っているようだ。
そして東雄は一ラウンド目とは討ってかわり
姿勢を低くしジェーソンの足を何度もとりあげ
巨体をリングの上に転ばせ始めたのだ。
ジェーソンサイドの李億元監督の割れんばかりの大声が聞こえる。
これで「いただきだ!」と確信した。

そのとおり、第二ラウンドは東雄に。
いよいよ最終ラウンド。
私は東雄に「You are Champion ! 」と背中を叩き
東雄も「はいっ!」と腹から大声で応えリング中央へ。

小刻みに揺れる東雄の身体は全身に神経が行き渡り
瞳孔も大きく開き、獲物を捕らえるチャンスを伺っている。
よし、最高の仕上がりだ。
私は「GO!東雄!」と叫んだ。
その瞬間、飛掛かった東雄に捕らえられた巨体は音を立て
頭から倒れていった。
その後、捕らえられまいと狭いリングを走回るジェーソン。
ラスト一分になった。
ジェーソンも簡単に負けてはいない。
パンチとキックの反撃をしてきた。
会場は悲鳴にも近い応援の叫び声。
もちろんジェーソンにだ。
彼は地元のロックシンガーでファンも多い。
猛獣が襲いかかるようにジェーソンが攻撃。
力ではジェーソンに勝てない。
東雄に組み付く隙も与えず強烈な蹴りを入れる。
しかし、それでも東雄はジェーソンを何度も倒した。
ポイントを数えていると互角に近かった。
引分けか・・。
終了のゴングが鳴り王漢レフリーが分けに入った。

戻ってきた東雄の顔は満足そうだった。
私達に笑顔で「ありがとう」と言った。

判定は引分け「ドロー」だった。
さすがに両者共、苦笑い。
それほどの凄まじい戦いだったからだ。

結局、ルールで「ドロー」の場合は
両者チャンピオンとなるので東雄もジェーソンも
チャンピオンとなった。

ただ私の心の中では・・。
もちろんジェーソンも強かった。
でも東雄こそが誠のチャンピオンだったと
そう思っている。

2005年7月15−17日。台湾宜蘭縣で開催された
中華台湾國術會主催の国際大会には
東雄と小湯が共に
日本隊をサポートしにきてくれた。

西日本分會のコーチとして

文  栗崎佳子

左から小湯、赤川裕実監督、栗崎佳子、東雄

テキサスにて